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幽玄と − 一条美由紀のドローイングをめぐって
山内 舞子 (キュレイター)

ドイツからの帰国後、長い時を経ての個展。それを構成するのは木炭によるモノクロのドローイングだ。おぼろげな軌跡によるその像の多くは肢体の一部や表情を詳らかにせず、シャッターの動きが緩やかな写真のごとく僅かなシークエンスを内包している。と同時に、動機を測りかねるようなポージングは幾分のデモーニッシュな気配を帯びている。

 デュッセルドルフ美術アカデミーに学び、作家活動の殆どをドイツで展開してきた一条だが、その作品にはどこか日本らしさが漂う。そこで、ここではその分析のために中世以来の美的理念であり、鴨長明(1155-1216)が定義づけようとした「幽玄」を引き合いに出してみたい。

 この随筆家は晩年の歌論書『無名抄』にて「幽玄」を次のように説明している―「詞にあらはれぬ余情、姿に見えぬ景気(=ありさま)」。そして具体例として幼児のかたこと言葉や霧のまにまに見える秋山などに対する心情を挙げ、更には「幽玄」を含むいくつかの美的理念を歌に込めればたった31文字で天地を動かし万物に宿る精霊を和ませることが可能である、とまで述べている。

 全容を明確にすることを是としない感覚、そして限られた表現要素で神的な存在と向き合う態度が日本的であるということは、多くの人々が認めるところであろう。だが、長明自身が「自らもいと心得ぬ事なれば」と謙虚に前置きしたうえで幽玄論を語り始めているように、その熟知と実践は決して容易いことではない。けれども、その言説と一条美由紀のドローイングを照らし合わせてみれば、かなりの部分で合致していることが分かる。

 とはいえ、実際のところ「幽玄」は造形芸術ではなく主に和歌や芸事の世界で共有されてきた理念である。もし身近に言語や身体による表現に携わる友人がいるならば、彼らを誘って本展を訪れてみるのもいいかもしれない。




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